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まとめの三学期スタート
幼稚園にまた活気が戻ってきました。短い冬休みではありましたが,どの子も少し成長したようです。年末年始を通して家族の絆が深まったからでしょう。
始業式では,三学期は,これまでの学年をまとめる大事な学期、また,4月の進級進学に向けた準備の学期でとても大事な学期であることなどを話し,みんなで楽しい幼稚園にしていこうと誓い合ったところです。
「さあ たのしいことみつけよう」(園のキャッチフレーズ=主体的な遊び=学び)と172名の園児と23名の教職員で三学期をスタートさせました。
年の初めや年度初めのスタート時期にいつも思うことがあります。それは、日本における幼稚園・幼児教育の始まりについてです。
日本で二番目にできた幼稚園が鹿児島だったことをご存じでしょうか。ちなみに県立の幼稚園(公立)と言うことでは一番目になります。日本初の幼稚園は,明治9年に開設した国立の東京師範学校附属幼稚園(現お茶の水女子大学附属幼稚園)になります。今回はこのことについて少し触れてみたいと思います。
明治10年に起きた西南戦争により鹿児島の多くの若者が亡くなり,町も荒廃しました。我が鹿児島の偉人西郷隆盛という支えを失った喪失感など大きなダメージを受けたことだろうと思います。
鹿児島の復興再生に尽力した時の県令(知事)岩村通俊の幼稚園開設に関する要請で,文部省は当時東京師範学校附属幼稚園の保母一号の豊田芙雄(とよたふゆ)先生に明治12年1月24日付けで出張命令を出しました。
先生は,2月20日東京を発ち,駕籠(かご)と船を使い3月11日に鹿児島に着かれ,4月1日には,現在の名山小学校の一角に鹿児島女子師範附属幼稚園として開園式をされ,待っていた39人の園児と7人の保母見習の指導を開始されました。そして,10月には3歳児保育も始まったと聞きます。1年2ヶ月の間に日本で二番目の幼稚園として,県立の鹿児島幼稚園(現鹿児島大学教育学部附属幼稚園)を軌道に乗せ,7月に帰京されました。当時,偉い先生と言う尊敬の念で行き交う人々の関心を集めたそうです。西郷隆盛が尊敬した水戸藩の藤田東湖という学者の姪で35歳だったそうです。
先生の25条から成る「保母の心得」第1条には,
「子供はその年齢と発育に応じて保育すること。かりそめにも成人と見誤ってはならない。」
第2条に,
「子供を導くにはけっして性急にしてはならない。保育の仕事は皆遊戯と心得ていれば大きな誤ちもないであろう。」
とあります。
第1条は,現在の幼稚園教育要領の基本理念とも言える「幼児期にふさわしい生活」「一人一人に応じた指導」,第2条は「遊びを通した総合的な指導」に通じています。その他,自然体験重視の記述もありますので現行の「環境を通した教育」にも通じています。つまり,先生の考えが現在の幼稚園教育要領の基になっていると考えられるのです。
そして,「保母の心得」は,幼稚園の関係者だけでなく,現在の保護者の皆様にもわが子に接する基本姿勢として立派に通用する考えかたではないでしょうか。
三学期も温かい御理解と御協力をよろしくお願いします。

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